第二回 着物にとっての明治維新

先月から始まりましたコラムの第二回目。今年、2018年は、明治維新からちょうど150年にあたります。今回は「着物にとっての明治維新」についてお話しします。

現代の日本でふつうに生活をしていると、着物に触れる機会は決して多くないと思います。着物を着る機会があるとすれば、成人式や結婚式・七五三・入学式・卒業式など人生の節目で着る、晴れ着としてという方が大半でしょう。

約70年前の戦前の日本人にとって、着物は晴れ着ではなく、まだ日常の衣服でした。仕事から帰って来たお父さんが、スーツから着物に着替えるというシーンを、テレビや映画などでご覧になったことのある方も多いことでしょう。

鎖国をしていた江戸時代が終わり、明治になると急速に西洋文化が入って来ることで、日本人のライフスタイルは大きく変わり始めました。明治という時代は、世の中の仕組みが大きく変わり、人々の生活にも大きな変化をもたらしました。特に着物に関連すること
で言えば、それまで身分により着用が制限されていた衣服が自由になったことです。

江戸時代は奢侈(しゃし)禁止令、つまり贅沢を禁止する法がありました。農民は木綿と麻以外の素材の着物を着ることを、禁止されていました。また、町民に対しても、金糸を用いた刺繍のあるものや、鹿の子絞りなどの豪華な着物を着ることが禁止されていました。士農工商のそれぞれの身分に応じて、着用して良いもの、悪いものが決められていました。

江戸終わりの日本の人口が推定で約3200万人だそうです。いまのおおよそ4分の一くらいですね。その内の約 85%以上が農民でした。残りの中に、町人、武家、公家や神官などという割合です。つまり、人口の大半が農民たちです。農民たちは絹の着用は許されず、木綿や麻に限られます。また、武家でもその実態は農民に近い生活だった下級武士も少なからずいました。

現代で私たちがイメージするシルクの着物を着ることができたのは、ほんの一握り、恐らく20人に一人もいない割合のお武家さんやお公家さんに限られていたということです。

明治になるとそれまでの身分制度は廃止されました。農民や町人も、名字を名乗ることが許され、住む場所や職業、結婚なども自由に選択できるようになりました。それにより、それまでの衣服の制限から人々は解放されたということになります。

また、数年前に国宝・世界文化遺産に指定された富岡製糸場に代表される近代日本の絹産業は、日本政府の後押しもあり、大きく発展することになります。庶民の服装が自由になり、それに加えて絹産業の発展が、庶民に正絹の着物を広める強力な原動力となります。
その後、大正から昭和初期にかけて、織物の最新技術や人口染料が欧州から持ち込まれると、着物産業も次の発展へと繋がってゆきます。

いま私たちは職場や学校へ行くときには、一定のTPOに応じた服選びをします。しかし、国からこれを着てはいけないとか、これを着るようにといった押し付けはありません。毎日、好きなファッションの服に身を包み、お洒落を楽しむ方も多いことでしょう。少数ではありますが、私のように毎日和服を着て過ごすという選択をすることもできます。

現代の日本では、私たちが着たいものを自由に着られるということは、ごく当たり前のこと。しかし、本当に好きなものを着られるようになったのは、まだ最近のことです。そんな時代の中で、着物はこれからどんな役割を担えるでしょうか?